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最新ウォータージャンプの歴史の記事一覧

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09/20

95年頃には、ウォタージャンプがなんたるかも含めて認知度や浸透度はかなり低かったですね。
世界中どこを探しても運営や経営のマニュアルなんてものは全くない。作ることだけであれば、すでに自身で借金をして何回も作っている。
お手本としようとする施設がないわけだから、すべてが手探り状態。
事業事例があればマネをすればいいわけですからねぇ、最初にトライする人には産みの苦しみがあるわけですよ。が新たなこと、未体験や既成数値が無いことを、あらたに「興す」ことはなによりやりがいがあるわけです。

 私のスタンスといいますか、「物まね」が苦手です。それと標準化という言葉も嫌いな方です。
これは、物まねや標準化は、運営としてはやりやすいし一般社会では当たり前なことですが、生産性や革新性が徐々に薄れてくる。流れで仕事をすることになります。流れることでいい点がありますが、新しいことを考えることや挑戦することに臆病になってくる。仕事を新鮮に常に向き合うこと、この発想がなくしてはウォータージャンプは作れない。というより事業性がなくなるという脆弱な市場でありビジネスなんですね。

 私の本業はスキー場の設計や運営コンサルタントですから、明確な答えのないことに対して答えるということでは、20年間も関わっているうち随分と鍛えられてきます。
スキー場では自然状況や地域特性、それぞれの地の人間により、いろいろな答えが生まれてきます。私にとって、本業の延長でのスタンスだっただけに事業計画作りは楽しい時間でした。これは冬期に運営していたモーグルコースで数値算出はすでに施行済みだったことが大きいですね。

 当時追い風は、フリーライドの動きでした。
余談ですがこのフリーライドという表現は日本独自なのですよね。当時ブラボースキーの中島編集長と新たな遊びのジャンルの表現に最も適切な言葉はなんだろうね・という会話をしていました。これはウォータージャンプのシリーズ戦を開催したり冬期にエアのイベントを頻繁に開催していた私が業界のリーダーということらしく、しかしスノーボードではなくスキーでこのジャンルの表現はどうしよう、そのなかでフリースキーやフリースタイルなどなど悩んだ結果、彼がフリーライドの方がインパクあるよ、じゃそう表現してこう・とこんな軽い感じで、誌面にイベントにスキー場の表示にてと一気に標準化されました。。。。スノーボードでのフリーライドとは違うジャンルで勝手にひろまったのです。

 さて、このフリーライドはモーグルがアスリートされる中、束縛を拒絶する人たちに一気に受け入れられ広まりましたね。サロモン1080やスノーブレードが一大ブームなったのは90年代後半です(当時私はこれらの販売にかかわるお手伝いもしていました)。
 この当時は、モーグルから分家した人たちが遊ぶもの・というイメージが強かったかな。
それを払拭してきたのは、スキーボードの人たちですね。インラインスケートテクニックの下地からわき出る技はスキーの概念を崩していましたよ。かなり鮮烈なイメージが私にはあります。
 まだモーグルイメージが残っているところもありますが、跳びだけを楽しもうとする人が圧倒的に増えてきましたね。だから、今年は飛び系専門誌が3誌も出現するわけだ。

 しかし、2000年を超えたあたりからか、前記の標準化がたった数年でフリーライドにも現れてきて、そしてウォータージャンプにも現れました。盛り上げるために大会をすることが果たしてベストなのだろうか。自分がその仕掛けにかかわらなくてもいいじゃないか、誰かがやればいい。
この時点で私はきっぱりと雪上イベントから完璧に撤退。ウォータージャンプシリーズ戦からも私は離れさせていただきました。
私が止めたことで、各方面には色々影響が起きたようです。飛び系大会だけでも10近く行っていただけに、それなり影響はあたのでしょう。
しかし、今ではよかったと思います。イベントを5シーズン離れてみて初めて、みんなが望んでいることが段々と見えてきました。
 
 イベントは止めたけど、世の滑り手の声が聞こえてきました。
イベントを望まない人たちの方が世の中には多いのだということも受け止めめることができたのです。そして三重県桑名市でのウォータージャンプK-air開設にすすみます。
 

09/17

1995年、私が白馬さのさかの顧問をしているとき、ぼちぼちウォーターの虫がわいてきて???親会社にウォータージャンプの建設提案。つまりは施設建設を通じてスキー場告知し、スノーマシンの貯水池として活用しませんかという内容。自身のリスクではなく人の褌のアレですわ。
本社役員会を通るというバックボーンは全く無し。すでにリステルにあったにせよ、エアリアルのアスリート育成を企業ぐるみで支援するという社会貢献施設に近い。海のものとも山のものともわからない一般的では無い施設。社会性以前に合議制民主主義の一民間企業となると真っ先に経済性を求められる。事業計画も日本にも世界にも事業的実績が無いだけに、裏付けがとれない。白川が歩んできたエアリアル、フリースタイル大好きでは済まないスポーツ育成とかアスリート育成などといった甘い感動論は一切通用しないクールな判断をされてしまう。
が、担当者から、リスクを持つならばという条件付きで話は急転。結局は当然ながらリスクからは逃れられないのよね。当たり前ですが。
前出の永井祐二君が運営委託を行い(彼は彼で白馬村内でウォータ適地を探していた)、私が営業的な保証人(計画以下である場合白川が返済をする)となることのすべての書類にサインして計画がスタートした。>これで失敗したら自分の家が無くなる・・・と永井君共々思いましたね。

 白馬さのさかウォータージャンプのコンセプトは、エアリアル選手を育成という永井君の本音と、ローカルモーグルユーザーの取り込みを行う白川が行う経済的背景。ここに日本で初めて一般顧客=マスをターゲットとしたウォータージャンプが誕生したのです。そうです1995年のことなのです。
 その成果はオープン後数年で現れました。冬期白馬さのさかはモーグルの聖地として一般的に浸透していました。その利用者たちに告知すると、あれよあれよとモーグルにはウォータージャンプで練習したほうがいいのだよ!ということが広まり、なんとか保証人のお役ご免と相成りましたわ。ホッ!
 これには、さのさかのモーグルの成功という側面支援があったものの、ウォーターを一般的な施設として営業展開するという、当時では誰も思わなかったアイデアを作り上げたことが要因と考えています。
これを契機に札幌のテイネやリステルもモーグル仕様を展開。全国的にウォーターでモーグルエアの練習が広まり、そしてフリーライドに発展していきます。
日本のフリーライド(フリースキー)の幕開けは、テイネ・リステル・白馬さのさかウォータージャンプが起源とも言えますね。      続く

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