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09/15

 1984年に長野県の木崎湖にエアリアル競技のための専門施設を作成。多分にこの当時最もエアリアルらしい日本初の施設でした。
 この時経済的な支援者が無く、県内のとある方に保証人をお願いし、地元金融機関から建設資金を借り受け、なんとか建設(保証人の信用だけで借り受けたとも言えます・苦笑)。
>大変でしたがちゃんと返済しましたワ。白川直樹29歳の時。

台は、いまでいうアップ系の台と、2回転用の台。
エアリアル練習の虎の穴として、全国各地からエアリアルアスリートを目指す若者たちがやってきました。その中で特に、北海道から工藤哲史くん、水野千鶴子さん(現姓:工藤)、松浦崇人くん彼らはサラリーマンを投げ捨て、エアリアルに青春をかけてはるばるやってきました。
この時に私が全日本の強化コーチも行っていましたが、彼らのプライベートコーチであり今度は支援者として、先活を共にした長期な強化合宿だったですね。
 その後、工藤君はカルガリー五輪で11位(現在北海道スキー連盟の重鎮でテイネウォータージャンプの経営者)、松浦君はワールドカップ6位(ニセコでペンションオーナー)、千鶴子さんはワールドカップ2位(工藤哲史夫人)を数回という輝かしい成績を収めたのです。この時の熱い自分のマインドが、いまでも同じく続いているから、まだまだ(ウォータージャンプを)作っているのかな。

 後半には、アルベールビル五輪14位で現在はペンションオーナーの永井祐二君(白馬さのさかウォータージャンプの運営受託者)、リレハメル五輪出場の待井寛君(現在リステルウォータージャンプ担当しています)もやってきました。運営期間は短かかったものの、彼らのモチベーションは恐ろしく高かったと記憶しています。それは、彼らは日本の順位ではなく、世界で上位に入らなければ、エアリアルが認められない・フリースタイルが日の目を見ない・マジな気迫で・突き進んでいましたね。それを実行した彼らは本当にすごい。

 ウォータージャンプを「湖」で作ることの難しさを身をもって体験したのもこの時です。
湖は大きな河川として河川法をはじめ、あれやこれや20程の法の網がかかり、それをクリアするのが至難の業。開設には毎日毎日役所通いをし、さらにスキー連盟の支援もいただき建設にまで至りました。しかし短期で閉鎖となり、その後は借金だけが残りましたが、私にとって人生の転機となった数年間です。

 選手たち彼らは、それぞれで今でもエアリアルを愛し、フリースタイルを愛して、様々な活動を行っています。それはパワフルで、日本のフリースタイル界、ウォータージャンプ活動のオピニオンリーダーとなっています。

 私は私で、フリースタイル馬鹿だな・と実感。この時は自分が飛ぶためのものではなく、自分の教え子であり後輩たちのためにとった行動(建設)です。この時私が強化コーチという責もあったのですが、技術指導だけでは強化に至らないということを実感していました。教え方が上手なコーチだから(通常は当たり前ですが)、選手時代に実績があるからでは、選手は育たない。信頼されないものです。一番感じたのは、身をもってリスクを背負うことは気持ちに伝わるものですね。
 日本のエアリアルの創世記ですでに2回転2回ひねりや3回転1~2回ひねりを行うことは、常にコーチが選手の命を預かっていることにもなります。コーチの一声への信頼がエアリアルほど実感できるスポーツもないでしょう。今でも彼らとはいいつきあい方をしています。   続く
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