2006-10

ウォータージャンプの必然性

出張が多いのがアプレスキーの宿命ですわ。
2週間ほど留守にしていました(といっても何処を基準に留守にするかが最近わからん=東京にもアパートがあり、ホテル住まい100日の私にとって)。その間、3000km走りも走る。
コンサルやデューデリ、なんちゃってスノーパークの段取り、スキー場経営のご相談、ペイントボールの段取り、土地情報の取得やら、ウォータージャンプ以外の仕事が私の担当だったりして。

このブログはウォータージャンプのことだけをピックアップして書いていますが、運営会社アプレスキーの本業のお仕事も紹介させてくださいまし。
開業は1986年。おっ、今年って20周年のアニバーサリーだったりして(汗)
スキー場のゲレンデ設計請負とコンサル業務からスタート。
不思議に思う人もいるかもしれませんが、フリースタイルとは全く無縁な事業からスタートしているのですよね。フリースタイルらしい仕事は、「さのさか」にモーグルコースを造ったときかスキージャム勝山でスキーショーをしたときからですから、93〜94年頃からになるのですよね。
しばらくはスキー場の測量設計とスキー場のデューデリジェンスを地道にやっていたのですよ。
最近では測量設計の受注が激減したのですが、デューデリ関連業務が多い。その経緯で生まれた「なんちゃってスノーパーク」は来期18カ所くらいになるのかなぁ。
これら仕事の内容は、もう一つのブログ「スキー場業界と運営」に譲りますが、以外でしょ、アプレスキーの本業。
特に、なんちゃってスノーパークはウォータージャンプの利用者とは全く違うのです。
ふつう、雪上の仕事とウォータージャンプがリンクしていると考えるかもしれませんが、正直あまりリンクしていませんな。
なんちゃってスノーパークとはキッズやビギナーを中心にスキー場にでかけるごく一般の人たちが対象で、ウォータージャンプを利用する人はマレと言ってもいい。しかしスキー場の来場者の85%はこれらの人ですから、これがウォータージャンプの運営に非常に参考になっているので、無関係ではないかもね。
また、2001シーズンまでゲレンデで苗場であったコアゲームの施設責任者や大手スポーツ店のビッグエアシリーズ戦のプロデュース、大手メーカーのビッグエアも何年も施設制作と運営やら、そうそう、サロモンクロスマックスの第1戦の設計とTDなどスキークロスの創世記のゲレンデは殆ど私の設計、シーズンで30〜40ものイベントをこのあたりはやっていたのですわ。はたまた、スキー場のパークを何カ所かで請け負いディガー達が50人くらいいたときもあったのですね。

それが突然ですが、2001シーズンでこの世界から身を引きました。
ビッグエア系イベントでは参加者は安全運営の限界もあり100人程度、それにメディアとメーカーがいつもやってきます。なにやらゲレンデは賑やかになるのですが、一般ゲレンデの人たちは勝手に滑っているわけで、イベント、特に大会には見むきもしてくれない。要はですよ、イベント会場は業界人の人しかいないのですよ。大会を見ている人が結構多かったですよ、なんて報告をしてたところで、ゲレンデにる人の数パーセントで、スキー場に取ってはなんの足しにもならない・いわば自己満足、マスターベーションでしかないじゃん。って気づいたのですなぁ。

パークをやめた理由はというと、これは"お粗末"。
ディガー達は自分で飛ぶための台を作るのに一生懸命で、スキー場本来の顧客のためには台が作れないのです。
ビギナー用の台も作りますよと言っても、適当。真剣味は伝わらない。
そして、半ケツ・茶髪・ピアスの3点セット。大人になりきれない半社会人。所詮自分の遊びを仕事場に持ってくるだけのディガー。
アプレスキーは人集めでは定評がありますので、パークにはたくさんの人にきていただきましたわ。しかし、一般のお客さんが去っていてしまった。スキー場集客のデューデリをするアプレスキーのコンセプトとは違う世界に突き進んだのですよねぇ。
市場の育成、底辺拡大を行わなければならないのに、尖った人しか相手にできない自分に大いに反省なのでした。
まっ、そんなことや、あんなこと、で一切やめにしよ。底辺拡大の専門会社として再度進もうと、これらのゲレンデ活動を止めた翌年、02年にウォータージャンプK−airを作りました。

このウォータージャンプについては、運営する上での”必然性”がなければ成り立たない。
それは、社会的な意義、市場底辺拡大という2大テーマ。これは永遠のテーマなんだなぁ。

PS:
そうそう、あるウォータージャンプ命の方からアドバイス。
10月17日記述の「わかりずらい道なのが都会なのよ」にたいして、「社長、所沢は田舎だから道がわかりずらいのですよ」だと。
すいませんねぇ。そんなこともわからない田舎ものとお許しくださいまし。ぎゃ

西武園ゆうえんちウォータージャンプ

2006年7月7日、ウォータージャンプの歴史の中で新たなムーブメントが生まれた記念すべき日である。
西武鉄道の沿線、ちょっとローカルにはなるが、西武園駅と西武遊園地駅からそれぞれ歩いて5分の立地。こんなウォタージャンプは世界でも例がない。夏の暑いさなか、浮き輪を抱えた人たちが電車で行き来する中、板を持って電車に乗っている人の姿が、1シーズンで似合うようになったかな。
秋空も深まる10月中旬にスノーボードの板を担いで堂々と駅を降りている人と一緒になったけど、全く違和感は無かったね。慣れってすごいものです。

住宅地に隣接しているせいか、車の便はわかりにくいのなんのって。私は札幌生まれの名古屋人。
まっすぐな道に慣れ親しんでいただけに、曲がりくねって走っていくうちに方向がわからなくなるような道には最初はチョー閉口した。
そしてだ、道路の横にジェットコースターがガオーッと走っている光景には唖然。いまでもジェットコースターが気になって運転が危うくなる。いまもまだまだ驚かさせる。ほんとにやばいよ。
すぐ横の高級住宅街には吉永小百合さんがおられることにも、オジンにとっては激感動。
しかし、わかりずらい道なのが都会なのよ。と言われ妙に納得。俺ってやっぱし田舎もんかぁ。
と、こんな都会?にあるウォータージャンプも世界初じゃ。

西武園ゆうえんちウォータージャンプの場所は、2005年の3月までは西武園ゆうえんちスノーボードパークが営業していた。わがアプレスキーは、その施設を丸ごと借り受けて、ウォータージャンプ施設にリニューアル。名誉ある役割をさせていただいた。
しかし資金はかかった。工事費や設備備品、人件費やその他もろもろ。都会だから当たり前だと自分に叱咤激励!喝!
この出会いを大切に、完成したウォータージャンプ。
2ヶ月間、スタッフ共々徹夜に近い連続。アプレスキーの1日は24時間だ、などと自身のポリシーを語りまくっても現場仕事の体力は劇的に消耗していく。事故無くよくぞたどり着いたものだと感慨無量となったものです。

ちなみに、この24時間スタイルは、スキーの仕事をしていく中で生まれてきたんだよね。
ライダー時代は自身の体調を気にしながらしっかりと睡眠時間をとって、ただ滑る滑る。苦労という言葉とは異質な状況だけに、その反動で滑ることを引退した後は、一般社会人に近づくべく寝ないで仕事しろ!となったわけ。ウィンターで従事している人は、一般社会の常識とは異なるある意味楽な生き方をしているだけに、その落とし前は”きっちり”取ってもらいます。

なんだかんだと言いながら、無事に迎えたオープン日。
動く歩道(エスカレーター)が想像以上に大人気。ナイター営業も大好評。
8月の毎週末の花火大会も”目の前”だけに感動もの。
いろいろなことが起きて、スタッフ達は安全運営をすることが最優先なシーズンです。
11月19日のクローズまで約1ヶ月。最後まできっちりとスタッフ全員仕事させてもらいやす。
気が早いのですが、2007年は4月27日頃のオープン日を予定しております。

<ご意見・ご感想 cava@freestyle.co.jp まで>

基本的なこと

このブログは、ウォータージャンプの歴史などのお堅いお話から入ってしまい、ウォータージャンプの特性には全くふれていませんでしたね。大変失礼。

本来エアリアルの空中演技の練習からスタートしたことから、もっとも重要なことは空中演技の習得でした。20年前ですら、すでに3回転3回ひねりをやっていたのですから、雪上ではいきなりトライできない。そのためにはウォータージャンプは不可欠だったのです。
サッツ(踏切)と空中演技、そしてランディングまでのポジショニングまではウォータージャンプは完璧な練習となる。今では考えられませんが、1回転しかできなかった選手であってもモチベーションがあれば、2年後には3回転ができていました。少なくてもフルフルレベル(2回転2回ひねり=1440)にはたどり着けます。

が、しかし、ランディングそのものの練習はできない。水面はフラットですから、別物。
水面といってもエアリアルで高さ10mを超えるところから落ちた場合の衝撃はすさまじい。
板は簡単に折れてしまう。
だからといって板を補強して板が折れないと、膝や腰にダメージが残ってしまうこともしばしば。
2回転以上の場合は、衝撃収集のためバブルシステムが必要となるのです。

実際の雪上のランディングは斜度39度あり、ジャストランディングすると衝撃はかなり少ない。
ランディングに際しての板の進入角度も鋭角ですが、ウォータージャンプはフラット。

このフラットランディングにあわせてしまうため、多くの選手達は雪のシーズンインの時に立てない。オーバー気味のランディングとなるのです。
いくら雪上をイメージした練習をしても、全員が完璧にあわせることはウォータージャンプでは難しいのです。
オーバー気味のランディングが染みついてしまい「ウォーター病」と揶揄された選手もいました。

一般の方が、3や7を回る程度ではエアリアルのような落差は無いことで、バブルシステムの必要性は少ないでしょうが、エアリアルと同様雪上ランディングではオーバー気味、軸が立て気味となるウォーター病にはなりやすい。

パークのテーブルで3や5を回すことでは大きな違いは少ないでしょうが、ノールまで12mを超えるキッカーで飛ぶ場合は、ウォーター病にはご注意ください。

<お問い合わせ・ご意見は cava@freestyle.co.jp まで>

ウォータージャンプのやるべきことがら

ウォータージャンプが、エアのための練習施設だからと結論づけるのは簡単だ。
ジャボーンと飛ぶという単純なことだけど、”こだわり”があるのだよね。

パット見、ウォータージャンプ施設はシンプルなだけに誰だって作れるだろうとも言われたりした。おおいに結構じゃないですか。どんどんできればいいと思うよ。
たしかに日本じゃ、ここにきてWJ建設花盛りじゃないか、どうしたんだろなこれは。


私は、哲学と理念が無いことには取りかからないことにしています。断言!
単なる商売のために、それから”人まね”では絶対に資金提供も支援もしない。
なんでやらなきゃならなの、なんのために、当然事業評価という考え方は必要ですが、それ以上に作ること、仕事としてとりかかる哲学無くしては、作ることは無意味なのだと考えているわけだ。

このスポーツを広めたい、雪上での悲惨な事故をなくしたい、フリースタイルの愛好者を増やしたい、そしてウィンターマーケットの底辺拡大を行いたい、そして新たなウィンターのムーブメントを起こしたい。私にとって一番大事なことは終始一貫して”底辺拡大”なのです。

ライダーやイントラや上級者だけが目立つ施設には、絶対したくない。
シャイな人、これからやってみたいと思う人達が、気軽に安心して訪れるような施設でなくてはならない、これが重要なポリシーとして、この方向性には”揺らぎもズレ”もない!

だから、なんなのよ。と言う人もいるでしょう。
ところがだよ、いくら格好良い雑誌が書店を賑わしても、デカイキッカーでかっこよく飛んでも、大きなイベントをいくらやろうとも、かれらを支援する人がいなくては、単なる自己満足だろ。
本は売れない、板も売れない、スキー場には人が来ない、、、、、、
応援する人、フリースタイルが好きな人、ファンがふえなきゃ、なぁんにもならんのよ。
自己満足のための施設を支援するわけにはいかない。

この哲学を理解したスタッフが育ってきた。
マーケットを増やすためには、都市部にもっと作るべきとの方向性を打ち出してきた。

そうか、また来年あたりに新たに作らなきゃならないことになりそうだ。
私に休みをくれないのだよねぇ。

<お問い合わせ・ご意見は cava@freestyle.co.jp まで>

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プロフィール

アプレスキー とは、フランス語でアフタースキーのこと

Author:アプレスキー とは、フランス語でアフタースキーのこと
・1978年日本初となる河口湖のウォータージャンプ(WJ)を皮切りに、1981年札幌テイネハイランドでのスポンジピット、1983年札幌定山渓温泉の空き地でヘイピット(藁のこと)、1984年長野県大町市の木崎湖WJ、ほか札幌雪祭りや池袋西武デパート屋上などエアマットショーと飛び続け、1995年白馬さのさかWJ立案責任者として強制的に某銀行の保証人(現在お役ご免)。
・2002年ウォータージャンプK-air、2006年に西武園ゆうえんちウォータージャンプS-air、そして2008年には大阪府大東市内に大阪ウォータージャンプO-airを建設しました。

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